歴史
日本美術・技術博物館マンガは、アンジェイ・ワイダ監督の提唱により建設され、1994年、日本美術・技術センターとして開館しました。開設後の10年間は国立美術館の分館でした。その当時から「アンジェイ・ワイダ&クリスティーナ・ザフファトヴィッチ記念京都クラクフ基金」もマンガを拠点として活発に活動を行ってきました。2005年、マンガ博物館は文化省の決定により独立した国立施設となり、さらに2007年に博物館としての認可を受けました。
マンガは創設者ワイダ監督の意向に従い、1920年からクラクフ国立美術館の収蔵品となったフェリックス・ヤシェンスキコレクションを中心に「日本コレクションの家」として活動を展開しています。2009年から、ヤシェンスキコレクションはマンガ博物館に委託されています。
マンガは創設者ワイダ監督の意向に従い、1920年からクラクフ国立美術館の収蔵品となったフェリックス・ヤシェンスキコレクションを中心に「日本コレクションの家」として活動を展開しています。2009年から、ヤシェンスキコレクションはマンガ博物館に委託されています。
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1920
フェリックス・ヤシェンスキの寄贈コレクション
ポーランドの美術品コレクターであり、美術についての知識が豊富であったフェリックス・マンガ・ヤシェンスキは、15,000点にも及ぶ日本美術コレクションを国立クラクフ美術館に寄贈しました。
1944
最初のヤシェンスキコレクションの展示
ドイツ占領下のクラクフの織物会館でヤシェンスキコレクションが初めて展示されました。当時20歳のアンジェイ・ワイダがそれを見学しました。
1987
京都賞
稲盛財団の京都賞を受賞したアンジェイ・ワイダは、賞金全額を「京都クラクフ基金」設立のために寄付しました。基金の目的は、フェリックス・ヤシェンスキコレクションを展示する建物を建設する事でした。
1991
建設資金集め
マンガセンター建設の資金集めにJR東労組が協力してくれました。
1992
設計
設計担当は日本の優れた建築家磯崎新でした。協力したのがジェット・アトリエ社のクシシュトフ・インガルデンとヤツェック・エヴィでした。
1993
28 maja定礎石
神主のお祓いによる定礎式。
1993
2 lipca建設工事の開始
マンガ建設には550人もの人が携わり、30万時間かけて予定通りに完成しました。
1994
30 listopadaマンガ
日本美術・技術センターマンガの開館
マンガセンターを背景に、フェリックス・マンガ・ヤシェンスキが小脇に北斎の浮世絵を抱えているポスターです。北斎漫画の「漫画」は、ヤシェンスキの時代「Manggha」というスペルで表記されていました。
2002
11 lipca天皇皇后両陛下のマンガご訪問
昭仁天皇と美智子皇后のマンガご訪問。
2005
2005–2007文部科学省直轄の博物館に
2005年、マンガはクラクフ国立美術館の支部ではなくなり、独立した文化施設となりました。2007年には博物館として認可されました。
2014
建設の開始
ヨーロッパ・極東ギャラリーの建設
6月、定礎を埋め込んだ後、ヨーロッパ・極東ギャラリーの建設が始まりました。
2015
23 czerwcaヨーロッパ・極東ギャラリーの開設
ヨーロッパ・極東ギャラリーはマンガ博物館の別館となっています。展示会場、コンファレンスルーム、倉庫、作業場、事務所があります。